すべてをコロナの責任にしている・コロナ便乗
いま日本は新型コロナウィルス問題(以下、コロナ問題)に特化し、直面している。
そして多くの国民が不要不急の外出を控えて、コロナ問題と対峙している。
にもかかわらず、このコロナ問題を幸いとし、「利用」ともいえる出来事が世に起きて
いることも事実である。
安倍総理大臣が今国会の最中、検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案を強引に推し
進めたことは記憶に新しい。
しかしいまはコロナ問題の真っただ中であり、今国会で取り上げる審議とは到底、考え
られない。
では程度の差こそあれ、何が起きているのか。身近に起きていることに対して、冷静に
目を向けてみると様々なことが起きていることに気付かされる。
とある、中古書籍等を販売する店が、「本日は雨のために閉店時間を変更します」との
告知に、購入者が、「突然では」と問いただすと、店員は、「コロナのため」と話がす
り替わっていた。
某コンビニチェーンや某量販店ではいつの間にか出入り口付近に、「6月1日よりレジ袋
の有料化」との告知がなされていた。
庶民の意識がコロナ問題に向いている最中では見過ごしてしまう出来事である。
郵便局でははっきりと、コロナ問題のために営業時間を変更している。
郵便局の営業時間を短縮したからといって、コロナ問題の対策にどの程度の効力
があるかは未知数であり、逆に営業時間が短縮されれば、その時間内にと利用者が余計
に集中してしまうことに懸念する。
加えて、営業時間を短縮し、特段、利用者に影響がなければ、これまでの営業時間の価
値観が否定される。
現在の郵便局は郵政民営化に伴い、民営の位置づけではあるが、これが郵政民営化以前
であったならば、これまで必要以上の職員が郵便局で働いていたと問題化されていたか
もしれない。
また店内が三密にならないために、しばらくの間、割引やポイントの提供を停止しま
す、などとサービスを無くしているが、すべてを「コロナ対策」と解釈することに違和
感を覚える。
2020年5月23日